小学生の登校渋り|両親の不仲が子供に与える悪影響

 

子供たちは小学校が大好きです。

幼稚園の頃から、「行きたくない」と言ったのは体調が悪い時くらい。朝の支度をしないことも、バスに乗りたがらないこともなく、あまりにも順調な集団生活でした。

 

それが一転したのは長女が小2のこと。

今でこそしっかり者で頑張り屋さん、自分の興味に一直線で、何でもやりたがりの活動的な子に育った長女。

ほんの少し前までは、言いたいことも言えずに泣いてばかりいました。 

それが「登校渋り」という形で表面化した時のお話です。

 

3ヶ月半続いた登校渋りと夫婦関係の歪み

「おなかが痛い」で始まった

あれは6月中旬、登校前のことでした。

出掛けに「おなかが痛い」と言い出した長女、それをきっかけに1週間から10日のペースで登校渋りが始まりました。

 

北海道の小学校は、5月下旬~6月上旬に運動会があります。

寒暖の差が大きい時期の屋外活動、疲れも溜まっていることから、風邪をひくとなかなか回復しない子が多いです。

風邪っぽいところもあったので小児科を受診すると、時期的におなかの調子が乱れることは珍しくないとは言われました。

 

けれど、見る限り長女の症状とは一致しません。

先生からの質問に答える形で様子を伝えていくと、途中で「なるほど」と気づいた感じの先生が言いました。

医師
医師
学校に行きたくないのと、お母さんと一緒にいたいっていうのは、違いますからね。

 

おなかが痛くなった原因とは

小2になって、今までと変わったことは何だっただろう?

改めて考えてみました。

  • 小学校のPTA事務局(執行部)を引き受けたこと
  • 幼稚園のクラス委員を引き受けたこと
  • 布団をくっつけて寝なくなったこと
  • お風呂に一緒に入らなくなったこと
  • お外遊びの時に、次女の面倒を任せてしまっていたこと

 

生活に関わることは、子供たちの意思を確認してからひとつずつ変えていきました。

急に無理をやらせたわけではありませんが、これが長女の負担になっていたことは間違いなさそうです。

しっかり者の長女に、ついつい甘えて任せてしまっていました。

 

そして、言葉でコミニュケーションが取れていたら大丈夫だろうという勘違いです。

スキンシップから得られる安心感は、絶対的に違います。

私自身が子供の頃に得られなかったスキンシップ、それと比べたら十分に取れているだろうという過信もありました。

 

この1年前は、夫が東京に単身赴任をしていました。

8ヶ月半の不在。帰ってくるのは月1回程度、1泊2日で札幌と東京を行き来しても滞在時間が短すぎるんです。

できるだけ不安にさせないようにと、特に意識してスキンシップを取っていたのに……夫が戻ってきたらそれでOK!ではありませんよね。

 

おなかが痛くなるのは、決まって私がお休みの日。

何をするでもなく、ゆっくりと好きなことをして、私と2人で過ごす時間。思い返してみると、それは頑張り屋さんの充電日だったのでしょう。

 

もっと早く気づいてあげられたらよかったのに。

学校で会える機会が格段に増えたって、家で甘えられる時間が減っていたら意味がありませんでした。

「あっ」と気づいた顔をしたであろう私に、先生は微笑んで少し声をひそめて言いました。

医師
医師
急に変えないでくださいね、徐々に……徐々にです。

 

自己満足を反省した

私のやっていたことは独りよがり、ただの自己満足です。

子供たちのことに関わっていきたい、学校や幼稚園に恩返しができれば、そう言いながら自分のやりたいことに意識がいってしまっただけのこと。 

  • 私の頑張りは家族に負担をかける
  • 頑張れば頑張るほどに家族が笑えなくなってしまう

 

引き受けたからには責任は全うしたい、でも極力無理はしないようにしよう。

私が大切にしたいのは子供たちなのだから、1人で抱え込まずにやっていこうと決めました。

 

子供たちにとっての「私の存在」

 その日の夜は、子供たちと布団を並べて眠りました。

おしゃべりをしながら添い寝していると、長女がポツリと言ったんです。

長女
長女
何か、安心する。

 

にっこり笑って、あっという間におやすみなさい。

 

小児科で受け取った処方箋には、「7歳9ヶ月」とありました。

私が母親になってから頑張ってきた時間の長さ、積み重ねてきた信頼、私は子供たちにとって「大きな存在」になれているのだろうかと。

改めて、そんなことを考えさせられたんです。

 

回復に必要なのは見守り

俗にいう「ズル休み」

小児科を受診して以来、私はカレンダーにチェックを入れるようにしました。

  • 登校渋りのあった日
  • 欠席した日

 

登校できれば、いつもと変わらずに過ごしてきます。お休みした日も寝込んだりすることはありません。

自由気ままに過ごしているのを見て、穏やかではいられない日もあります。「これがいつまで続くのだろう」と不安でザワザワとする日もあります。

そんな時も「これは私自身が不安なだけで、私の問題」と、グッと堪えて見守り続けました。

 

先生からのすすめで、スクールカウンセラーへの相談をしたことも。

原因がわからないうちは、対処療法で甘えて泣かせて、時々立ち止まりながら進んで行く。

 

調剤薬局の薬剤師さん、学校の先生、ママ友、たくさんの人たちに相談しました。

登校渋りに×をする人はいませんし、顔を合わせれば「最近どう?」と気にかけてくれます。否定されない事がとにかく嬉しかったです。

当時の人間関係は、しんどい期間を乗り越える大きな支えになりました。 

 

八つ当たりしてから気づいたこと

9月上旬のこと、いつも以上に激しい登校渋りです。

私は次女を耳鼻科に受診させてから、幼稚園へと送っていく予定だったので焦っていました。運動会直前だったので、練習できるように早く送りたくてイライラ。

「何となく行きたくない」という長女に、それをぶつけてしまいました。

 

その後しばらくして、私から謝りました。

長女は欠席させることにして一緒に連れて行くことにしましたが、そこにあるのは酷い自己嫌悪です。

はずみで出た「迷惑だから!」に、子供が傷つかないはずありません。

 

イライラの根っこはこの数日前にあったんです。

夫の借金発覚、2度目のことでした。

 

夫へと募る不満があった

当時のFacebookには、こんなことが書かれていました。

オンラインゲームをしながら、動画サイトの音声をイヤホンで楽しんで、私や姉ちゃんズが話しかけても無反応……っていうのは、そろそろやめていただきたいものだ。

ゲームやTVに夢中になっていて、返事をしない次女に「返事くらいしなさい」と言っている。それに説得力の欠片もない。

 

夫婦2人でいるうちはよかったんです。

長女が生まれてから、少しずつ少しずつほころび始めていた夫婦の関係は修繕されることがありません。

 

それに加えてのギャンブル、1度目は登校渋りの1年前でした。

単身赴任中のストレスなので本人もやめると言っていましたし、家の貯金から支払っていたんです。ところがまったくの嘘だったと判明。

睦
もう、手は貸さない。家計にはこんなお金払う余裕ないんだから、実家に電話してお金出してもらって。それとも今すぐに私が電話しようか?

夫
自分でするから……

 

結局夫は連絡することもなく、その態度が腹立たしくてしょうがありませんでした。

その数日後、義祖父が余命1ヶ月の末期がんとわかり、義両親にこの話をすることはありませんでした。

最終的には私の両親を頼ることになり、表向きは解決したのですが……私は離婚を考え始めました。

 

3度目もあったのですが、夫が連絡を渋っていたのはすでに義両親からお金を借りていたからです。

1度目の頃から3年間、計240万円以上になりました。

 

登校渋りが終わったきっかけ

夫の借金を完済したあと。

私はそれまでも手一杯だった時間をやりくりして、在宅で化粧箱折りの内職を始めました。

深夜2時頃まで作業をして、朝は6時起床、夕方に10分ほどの仮眠を取って何とか乗り越える毎日。

この生活を5ヶ月間、妊娠初期におなかの張りが強くなるまで続けました。

 

表面上、夫と揉めることはなくなり。

生活が落ち着いてきた頃に、登校渋りはピタリと止みました。

私は体力的にもギリギリのところで踏ん張っていたので、ひどい目眩で倒れたりもしましたが、金銭的にはほんの少し余裕があったんですね。

 

夫は借金をひた隠しにしようとする時に、じわじわと違和感が出てきます。

私が気づいたのは6月上旬、登校渋りが始まる少し前のことだと気づいた時はさすがにショックでした。

私の情緒不安定が、子供にしっかりと伝染していたんです。

 

子供に寄り添うことはもちろん大切です。

でも、それだけではダメ……表面に出ているのは全体の一部分、そこだけ見ても解決しないことでした。

母親の笑顔が大切という意味がわかった気がしました。

 

振り返りとともに

破綻する夫婦関係

当時の私は流産から立ち直っていく過程で、「もう1人産むことができたら」という思いが強くなっていました。

 

夫に相談すると、他人事なんだと感じられる返答でした。

夫
自分(私)が大変になってもいいならいいよ。手伝えることは手伝うけど、そのために早く帰ってきたりはできないんだから。

 

この言葉にもガッカリしたんです。

けれど逆に「妊娠したい、無事に出産できたら離婚する!」と意思を固める結果になりました。三女を出産したのは夫婦関係に亀裂が入ったあとのこと、完全に打算です。

意地で掴み取ろうとしなくてもよかったのに。

 

そして三女が心臓病で生まれて、3度目の借金発覚。

 

もっと力を抜いて。

もっと楽しい気持ちで笑顔になれる方法なんて、きっといくらでもありました。

私はなぜ、こんな方法しか選べなかったんでしょう。

 

最後にまとめ

どんなことがあっても、基本は笑顔で過ごすよう心がけています。

「しんどい」に目を向けることは簡単で、あっという間に地獄の底を這いつくばっているような気分にもなれます。

でも、そんな生き方つまらないんですよね。

 

迷ったり、悩んだり、そんな時は笑顔になれる選択を。

 

そうやって、少しずつ「無理」や「我慢」を手放す練習です。

飽きるほど笑って暮らしていきたい!睦でした(*ゝωδ)⌒☆

ABOUT ME
睦
北海道の三姉妹お母ちゃん。一戸建てマイホームでの生活、ギャンブル依存症の夫と離婚するまでの2年間の記録。