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夫婦関係|両親の不仲は子供に大きく影響する

夫婦のこと, 5人家族の生活

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今でこそしっかり者で頑張り屋さん、自分の興味に一直線で、何でもやりたがりの活動的な長女。

ほんの少し前までは、言いたいことも言えずに泣いてばかりの子でした。 

 

姉ちゃんズは小学校が大好きです。

幼稚園の頃から、「行きたくない」と言ったのは体調が悪い時くらい。朝の支度をしないことも、バスに乗りたがらないこともなく、あまりにも順調な集団生活でした。

 

それが一転したのは、長女が小2のことでした。

 

たったの3ヶ月半、でも長い長い3ヶ月半になりました。

私も長女も苦しかったけれど、それがあったからこそ今の関係を築けているんだなって思えます。

 

3ヶ月半続いた登校渋りと夫婦関係の歪み

 

ある朝「おなかが痛い」から始まった

あれは6月11日、登校前のことでした。

出掛けに「おなかが痛い」と言い出した長女、それきっかけに1週間置きくらいのペースで登校渋りが始まったんです。

 

北海道の小学校は、5月下旬~6月上旬に運動会があります。寒暖の差も大きい時期の外練習、疲れも溜まっていることから、風邪をひくとなかなか回復しない子が多いです。

風邪っぽいところもあったので小児科を受診すると、時期的におなかの調子が乱れることは珍しくないとは言われました。

 

けれど長女はそういう感じではありません。

質問に答える形で様子を伝えていくと、途中で先生は「なるほど」と気づいた感じで言いました。

 

 

学校に行きたくないのと、お母さんと一緒にいたいっていうのは、違いますからね。

 

  

 

先生との会話から思い当たったこと

小2になって、今までと変わったことは何だっただろう?と考えてみると、思っていたよりたくさんあったんです。

 

  • 小学校のPTA事務局(執行部)を引き受けたこと
  • 幼稚園のクラス委員を引き受けたこと
  • 布団をくっつけて寝なくなったこと
  • お風呂に一緒に入らなくなったこと
  • お外遊びの時に、次女の面倒を任せてしまっていたこと

 

姉ちゃんズの意思を確認して、ひとつひとつ変えていきました。

急に無理をやらせたわけではありませんが、これが長女の負担になっていたことは間違いなく。しっかり者の長女に、ついつい甘えて任せてしまっていました。

 

そして、言葉でコミニュケーションが取れていたら大丈夫だろうという勘違いです。

 

スキンシップから得られる安心感は、絶対的に違います。

私自身が子供の頃に得られなかったスキンシップ、それと比べたら十分に取れているだろうという過信もありました。

 

この1年前は、夫が東京に単身赴任をしていました。

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8ヶ月半の不在。帰ってくるのは月1回程度、1泊2日で札幌⇔東京を毎週行き来するのは大仕事です。

不安にさせないようにと、特に意識してスキンシップを取っていたのに、戻ってきたらそれでOK!なんてことはありませんよね。

 

おなかが痛くなるのは、決まって私がお休みの日。

何をするでもなく、ゆっくりと好きなことをして、私と2人で過ごす時間。頑張り屋さんの充電日だったんでしょうね。

 

もっと早く気づいてあげられたらよかったのに。学校で会える機会が格段に増えたって、家で甘えられる時間が減ってたら意味がありませんでした。

 

「あっ」と気づいた顔をしたであろう私に、先生は微笑んで少し声を潜めて言いました。

 

 

 

急に変えないでくださいね、徐々に・・・徐々にです。

 

  

自己満足を反省した

事務局を引き受けたのは、もっと長女のことに関わっていきたいと思ったから。

クラス委員を引き受けたのは、長女の時から続けて4年目、最後の年だったので恩返しのつもりで関わろうと思ったから。

 

大変になることは百も承知で、「やってみたい!」という気持ちが勝ったんです。子育てが少し楽になって、自分のやりたいことに意識がいくようになっていたんでしょうね。 

  • 私の頑張りは家族に負担をかける。
  • 頑張れば頑張るほどに、家族が笑えなくなってしまう。

 

もしそうだとしたら、完全な独り善がりです。

引き受けたことの責任は全うしたい、でも極力無理はしないようにしよう。私が大切にしたいのは子供たちなのだから、1人で抱え込まずにやっていこう。

この時、そう決めました。

 

姉ちゃんズにとっての私の存在 

この日は、姉ちゃんズと布団を並べて眠りました。

先に眠ってしまった次女の横で、添い寝をしながら長女とお喋りしていると、ポツリと言ったんです。

 

 

 
何か、安心する。

 

 

にっこり笑って、そしてあっという間に眠ってしまいました。

 

受け取った処方箋に書かれていた年齢は、7歳9ヶ月。

あっという間のようで長い時間です。こんな私でも、姉ちゃんズにとっては「大きな存在の母」になっているのかもしれないと、そんなふうに思ったんです。

 

辛抱強く見守る時間

俗にいうズル休み

小児科を受診してから、私はカレンダーにチェックを入れるようにしました。

  • 登校渋りのあった日
  • 欠席してしまった日

 

登校できれば、いつもと変わらずに過ごしてきます。お休みした日も寝込んだりすることはありません。

 

自由気ままに過ごしているのを見て、穏やかではいられない日もあります。「これがいつまで続くのだろう」と、不安でザワザワとする日もあります。

そんな時も、それは私自身の問題なのだからと、グッと堪えて見守り続けました。

 

事務局の先生からのすすめで、スクールカウンセラーに相談もしてみました。

 

 

原因がわからないうちは、対処療法で甘えて泣かせて、時々立ち止まりながら進んで行く。それでいいと思います。

 

 

たくさんの人達に相談しました。

 

登校渋りに×をする人はいません。

会えば「最近どう?」と気にかけてくれ、それが私の大きな支えになりました。 

 

八つ当たりしてから気づいたこと

9月1日、いつも以上に激しい登校渋りです。

私は次女を耳鼻科に受診させてから、幼稚園へと送っていく予定だったので、時間が押してきて焦っていました。運動会直前だったので、練習できるように早く送って行ってあげたくてイライラ。

 

「何となく行きたくない」という長女に、それをぶつけてしまいました。

 

その後、少し時間を置いてから謝りました。長女は欠席させることにして、耳鼻科に連れて行くことにしましたが酷い自己嫌悪です、猛省しました。

「迷惑だから!」なんて言い方、傷つかないはずがありません。

 

イライラの根っこは、この数日前にあったんです。

夫のギャンブルでの借金が発覚していたことが原因、2度目のことでした。

 

夫へと募る不満があった

Facebookを読み返してみると、ある日の投稿にはこんなことが書かれていました。

 

オンラインゲームをしながら、動画サイトの音声をイヤホンで楽しんで、私や姉ちゃんズが話しかけても無反応・・・っていうのは、そろそろやめていただきたいものだ。

ゲームやTVに夢中になっていて、返事をしない次女に「返事くらいしなさい」と言っている。それに説得力の欠片もない。

 

この時から、そして今まで夫は変わりません。

 

www.kiradoro-life.net

 

それに加えてのギャンブル、1度目はちょうど1年前のことでした。

 

単身赴任中のストレスで、本人もやめると言っていましたし、家の貯金から40万円支払ったんです。

ところがそれがまったくの嘘だったとわかりました。

 

今度は70万円、そんなお金ありません。

 

 

もう、手は貸さない。家計にはこんなお金払う余裕ないんだから、実家に電話してお金出してもらって。それとも今すぐに私が電話しようか?

 

 

 

夫は「自分でするから」と言いながら、連絡はしませんでした。その態度が許せなかったんです。

 

余談ですが。

その数日後、義祖父が余命1ヶ月の末期がんとわかり、義両親にこの話をすることはありませんでした。

最終的には私の両親を頼ることになり、表向きは解決したのですが・・・私は離婚を考え始めましたし、3度目もありました。

夫が連絡をしなかったのは、この時すでに義両親からお金を借りていたからです。1回目の頃から3年間で240万円以上になりました。

 

登校渋りが終わったきっかけ

支払いが済み、私は合間の時間で内職を始めました。

 

毎日2時頃まで仕事をして、朝は6時起床、夕方に10分ほどの仮眠を取って繋いでいました。この生活を妊娠中も安静生活(切迫流産の傾向になった)に入るまで、5ヶ月ほどですが続けました。

 

表面上は夫と揉めることがなくなりました。

私は体力的にもギリギリのところで踏ん張っていたので、ひどい目眩で倒れたりもしましたが、金銭的にはささやかですが余裕ができました。

 

生活がほんの少し落ち着いたところで、登校渋りはピタリとなくなったんです。

 

夫の言動に違和感を感じ始めたのは6月上旬、登校渋りが始まる少し前でした。

「全部これだったんだ」と、私の情緒不安定が原因だったのかと気づいた時は、さすがにショックでした。

子供に寄り添うことはもちろん大切だけれど、それだけじゃダメなんですよね。

 

子供の問題だと思っていた登校渋りが、私にたくさんのことを教えてくれました。 

 

そして今に繋がっている

破綻する夫婦関係

ここまでの話を読んでいて、不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 

三女を妊娠するに至ったのは私の打算です。

流産のあと、そこから立ち直っていく過程で「もう1人産むことができたら」という思いが強くなっていたのです。恐怖心もありましたし、相当悩みました。

 

夫に相談すると、他人事なんだなと思う返答がありました。

 

 

自分(私)が大変になってもいいならいいよ。手伝えることは手伝うけど、そのために早く帰ってきたりはできないんだから。

 

 

何度も同じような思いをしてきたのに、この時もガッカリしました。

けれど逆に「妊娠したい。無事に出産できたら離婚する」と意思を固める結果になったんです。なかなか授かれずに諦めた末のことでした。

 

母親の笑顔が子供の安心へと繋がる

意地で掴み取ろうとしなくても、もっと力を抜いて、もっと楽しい気持ちで、笑顔になれる方法なんていくらでもありました。

 

どうしてこんな方法しか選べなかったんだろう?と。

 

1人で抱え込まないと決めたはずなのに、結局そうやって勝手に背負い込んでしまったんです。私の勝手な思いが姉ちゃんズの負担になっていただろうと思うこと、たくさんあります。

悔いる時間もありました。

 

三女が産まれて、目の前には知らない世界が広がりました。

今までの生活をしていたら、きっと知り会うこともなかっただろうと思う人達に出会いました。

それらのすべてが、私の思い込みを外してくれて、窮屈な思考から解放されるきかっけになっています。

 

私はたくさん笑えるようになりました。

今だって「しんどい」に目を向けたら、地獄の底に這いつくばっているような気分にもなれます(笑) でも、それを止めました。

 

だって、そんな生き方つまらないんです。

 

迷ったり、悩んだり、そんな時は笑顔になれる選択を。

今はそうやって過ごしています。

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北海道の三姉妹お母ちゃん。借金背負った夫と、小学生の姉ちゃんズ、難病で生まれた三女。人生いろいろあるけれど、トライアンドエラーで笑って生きていくんだ。ネジ巻き直して「よーい、どん!」

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