寄り添うこと。

 

私は自分のペースを乱されることを嫌う。

だから子供は苦手だし、我が子でも面倒くさいし手余しすることは日常で、心の底から1人にさせて欲しいと思うこともよくある。

 

それで3児の母だなんて、我が事ながら聞いて呆れる。

 

ただ。

「1人になりたい」なんて感情は、母親であろうとなかろうと当たり前にあるもの。チクンと沸き上がろうとする罪悪感には、砂糖水でも塗り込んでおく。

私には、きっとそのくらいでちょうどいい。

 

別に無責任なことをしているつもりはないし、子供に向き合う時に手抜きは一切しない。

 

ある日のこと。

すべての表情を道の途中に捨ててきたのかと思うほど、無表情で帰宅した次女。また何かあったことは間違いない。

「どうした?」と問うと、ふて腐れた表情を作り出してひとこと。

 

「Hがババアって言った」

 

Hはクラスの男の子。

バカとかババアとか、そんな言葉にいちいち傷ついては家に持ち帰って泣いたり怒ったりする。

次女の日課、もしくは趣味かもしれない。

 

「面倒くさいなー、もう!いちいちそんなつまらん言葉に傷ついて、毎日文句ばっかり言ってないで、『うるせー、ジジイ!』くらい言い返してくればいいでしょ!」

 

と、吐き捨てて無視したい。

そんな気持ちを閉じ込めて、潰して、小さくして、そこにダイナマイトでも仕掛けて木っ端微塵にして。

そんなこと思っていませんよー、という顔で「そうだよねー、そんなこと言われたらイヤだよね」と付き合う。

 

私は人間ができていないから、神経を使って意識的に向き合わないと、きっとすぐに子供たちを傷つけてしまう。

そうやって1日に何度もそんなことを繰り返しながら、次女の感情に向き合っていく。

 

繊細と言えば聞こえはいいけれど、次女はそのあたりに困難を感じるタイプ。みんなが穏やかで優しければ次女の世界は平和、でも当然ながらそんなわけにはいかない。

 

傍にいた長女とも話して「ジジイくらいは言い返してもいい」という話はした。

長女に、仮に自分だったらどうする?と問うと「ウチがババアなら、アンタもジジイだよねって言うわ!」とサバサバとしている。

 

そんな長女もこの日はひと悶着あったようだった、珍しい。

 

グループ活動中のゲームで、小さなケガをした長女。

誰かの爪が深めに刺さったらしく、見た目の傷の印象よりずっと痛みを感じたようだった。普段大仰なアピールをしない長女なので、言葉にして痛みを訴えたということはそれなりに痛かったのだと想像できる。

 

それに対して、当事者を含めた周りの子たちから返ってきた言葉が面白くなかったようだ。

 

「わざとじゃないのにそんなに痛がる必要ない」

「私の突き指の方がよっぽど痛い」

 

それからは、止血していた長女を無視してゲームを再開。

見ていなかったアンタが悪い、聞いていなかったアンタが悪い、負けた人は罰ゲームと言われてそのすべてを長女がかぶり。

挙句の果てには、掃除中の雑巾がけを押しつけられて、傷がとても痛かったと言っていた。

 

まだ少し続くのだけれど、次々と理不尽と屁理屈がてんこ盛り。

底意地が悪い。何ていうかもう性根が腐っているような人間は、これはもう年齢が上がっていくにつれて増えていくものだ。

 

生きていくために身につける、1つの知恵かもしれない。

ある程度は諦めて、「そんなものだ」と右から左にしていく力も必要だと思っている。

 

これを聞いていた次女が、ババアのショックも忘れて長女がかわいそうだと言っている。次女のフォローが軽減したのは助かったけれど、こっちはこっちでなかなか面倒くさい。

 

 

故意であろうとなかろうと、痛いものは痛い。それをごちゃ混ぜにする必要はまったくないので無視していい。

「痛い痛い」と言われることで、自分が罪を感じるのが嫌だというだけのこと。そのために相手の気持ちを無視する、抑えつけるという行為は最低。

 

自分の痛みと他人の痛みを同じ秤に乗せて、わざわざ比べて「私よりつらくない」という意味が分からない。

頭のいい人間は、まずそんなことはしない。

優しい人間もしない。

 

傷があるとわかっていて、雑巾がけをさせるなんていうのはイジメみたいなもの。

そんな要求を飲む必要はないし、傷が痛いのなら周りの言葉なんて無視して、保健室で消毒なり絆創膏をもらうなりしてきていい。

 

相手の気持ちを踏みつけにしていいと思っている、くだらない人間の言葉より、自分の気持ちを何より大事にしなさい。

それでまた文句を言われて「もう嫌だ!」と思ったら、いくらでも先生に伝えてやるから言いなさい。

 

 

長女も次女も、それぞれに納得したようだった。

そして私に吐き出したことで気持ちの整理もついたようで、「じゃあ一緒におやつでも食べますか!」と、三女も一緒におやつタイムに入った。

 

嫌なんだ、こういうの。

「仮にアンタたちがそんなくだらないことでケンカを始めたら、お母ちゃんは2人ともぶん殴って説教するよね?」

長女と次女に聞いたら、苦笑いしながら「うん」と言った。

 

ぶん殴るというのは1つの例えであって、厳しい言葉で説教するというニュアンスが強いけれど。時々殴る。

 

姉妹関係の中ではそういった理不尽がまかり通らなくても、一歩外に出てしまえば……下手をすると、それが当たり前の人間と関わることになる。

その理不尽を、私はもっともっと教えておく必要があったのか。

私は子供たちを優しく育て過ぎたのか。

 

そんなふうに思ったりしなくもない。

守ってやるばかりが親の仕事ではないことは、我が身をもって嫌というほど知っている。してやるつもりもない。

無意識のうちにしていたのだろうか?と。

 

それでも、私は嫌なんだ。

人の心に寄り添える、人の痛みに共感できる、しっかりと血の通った人間であってほしい。それは完璧であれ、ということではない。

捻じれ曲がった人間に、振り回されることが前提で生きてほしくはない。

 

そんなことを考えていたら、次女がまた肩を落として半べそになっている。

習い事で精勤賞が取れなくて(といっても2年前には目標にしていなかったので、その当時に達成できていなったことを今更悔いても……なのだけど)、めそめそと泣き出してしまった。

 

ただの1日もサボることなく、一生懸命に頑張っていることは知っている。休んでしまったのは体調不良の日だけだった。

それを伝えて「でも、悔しいねー」と、次女の背中をポンポンと叩きながら慰めていたら、三女を抱いた長女が近づいてきて笑った。

 

「ちぃ姉ちゃんにヨシヨシだよ」

 

そう言って、長女と三女は次女の頭をなで始めた。

次女はますます声を上げて泣いたけれど、この光景を見て私はさっきまで考えていたことが杞憂だったと感じた。

 

目の前にあることが答え。

私の想いは子供たちに伝わっている、それで十分じゃないかって。

ABOUT ME
睦
北海道の三姉妹お母ちゃん。借金背負った夫と、小学生の姉ちゃんズ、難病で生まれた三女。人生いろいろあるけれど、トライアンドエラーで笑って生きていくんだ。ネジ巻き直して「よーい、どん!」